石切・・上の宮神社。。
2009年 12月 06日
石切さん」の愛称で、親しまれている東大阪市の石切神社。
正式には、「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」といい、
天照大神の子孫にあたる饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその子、
可美真手命(うましまでのみこと)を御祭神としてお祀りしている。
その創建ははっきりしないものの、
927年(延長5年)にまとめられた当時の神社の一覧「延喜式神名帳」には、
すでに名前が見られる歴史のある神社だ。
かれこれ・・1000年以上の歴史をもつ由緒ある神社である・・
そんな。。石切さんの氏子として・・
僕の先祖は・・過去長によると・・
役・・400年前くらいから・・
この土地に根付いていたのであった・・
もう・・実家はなくなり・
・・・墓だけになってはしまっているが・・
ぼくのDNAにはおそらく・・
・・過去のご先祖様の記憶やかかわりが・・
深く刻まれているのであろう・・
げんに・・
3代前までの・・
宮司さんは。。
いずれも・・わが乙川家とは・・
深い結びつきがあったのも事実である・・
いまはその西、木積家も・・
先代がなくなり・・また・・当主であった数馬氏もなくなり・・
実験は今・・東の木積家が牛耳ってしまっているときく・・
そんな・・石切さんであるが・・
まさか・・上の宮の神さんが・・
じつは。。最初の神さんであったとは・・
今日・・今・・ネットで見て・・
はじめて知った事実であった・・
それで。。
あの・・足や野先生が・・
あるとき・・上のみやの神さんが・・
ぼくに降りてきているっていわれたことと一致する・・
じつは・・
子供の頃は・・
なまじ、神社の宮司一家と親戚同様の付き合いをしていたため・・
お参りなどしたことがなかったのである・・
ただ・・うちは。。
参道筋の得意先が多く・・
ラムネやら・・うどんの配達に、毎日明け暮れていたのも事実であった・・
きょう・・
あまりにも・・
悪いことがつづくので・・
思い切って。。石切は上のみやに一人お参りにいってきた・・
近鉄石切駅を降りて・・
参道筋を下るのでなく・・
さらに・・山の上へ・・
やく300メートルほど上ったところにその社はある。。
おそらく・・
石切さんにおまいりする・・大半の人たちは・・
上のみや野存在すら知らない人が多いであろう・・
げんに・・
石切でうまれそだった・・このぼくですら・・
足や野先生に数年前にいわれるまで・・
あんなところに社があることはしらなかったのである・・
ただ・・
こどものころ・・
生駒の山上にのぼるみちすがら・・
いろいろな・・地蔵や社が立ち並ぶ・・
一角としてしか・・
印象には」ない場所であった・・
。。石切の参道ほど・・
神、社の多い地は目面しいと聞く・・
やく100以上の神さんや社が点在・・
そして・・それらにまつわり・・
占いどころの多いこと多いこと・・
そのかづ・・10や20どころではない・・
無数にいたるところに」点在しているのである・・
失業中のいま・・
どっかこの辺で・・
占いの看板をたてて・・
自分が占い師になって・・
アルバイトしようか・・
半分本気で考えたくらいである・・
。。。たぶん・・・
ぼくが・・占い師の看板をかかげたら・・
たぶん・・3人は・・
客がきてくれると信じてはいるが・・
お嬢、カッシー・・それとハンセツ・・
たぶんこの3人は主ローがって・・
来てくれるだろう・・
そんときは・・
一人1000円の占い料金を・・
特別に5割引きにしますからねえ・・
絶対きてくださいねえ。。
ああ・・それと・・コーヒーも付けますからね。。笑。。
いまは・・本当に気のあった仲間と・・
今年一年のいやなことを忘れつつ・・
来年に向けての気勢をあげる・・
本当の意味での年忘れる会の実現と・・
来年名古屋」で・・
小松の店へ・・ハンセツを実の娘として連れて行くことを・・
念願している・・今夜の三谷なのです・・
ではでは。。こんやは。。
この一極でお休みです・・
皆様いい夢を・・
正式には、「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」といい、
天照大神の子孫にあたる饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその子、
可美真手命(うましまでのみこと)を御祭神としてお祀りしている。
その創建ははっきりしないものの、
927年(延長5年)にまとめられた当時の神社の一覧「延喜式神名帳」には、
すでに名前が見られる歴史のある神社だ。
かれこれ・・1000年以上の歴史をもつ由緒ある神社である・・
そんな。。石切さんの氏子として・・
僕の先祖は・・過去長によると・・
役・・400年前くらいから・・
この土地に根付いていたのであった・・
もう・・実家はなくなり・
・・・墓だけになってはしまっているが・・
ぼくのDNAにはおそらく・・
・・過去のご先祖様の記憶やかかわりが・・
深く刻まれているのであろう・・
げんに・・
3代前までの・・
宮司さんは。。
いずれも・・わが乙川家とは・・
深い結びつきがあったのも事実である・・
いまはその西、木積家も・・
先代がなくなり・・また・・当主であった数馬氏もなくなり・・
実験は今・・東の木積家が牛耳ってしまっているときく・・
そんな・・石切さんであるが・・
まさか・・上の宮の神さんが・・
じつは。。最初の神さんであったとは・・
今日・・今・・ネットで見て・・
はじめて知った事実であった・・
それで。。
あの・・足や野先生が・・
あるとき・・上のみやの神さんが・・
ぼくに降りてきているっていわれたことと一致する・・
じつは・・
子供の頃は・・
なまじ、神社の宮司一家と親戚同様の付き合いをしていたため・・
お参りなどしたことがなかったのである・・
ただ・・うちは。。
参道筋の得意先が多く・・
ラムネやら・・うどんの配達に、毎日明け暮れていたのも事実であった・・
きょう・・
あまりにも・・
悪いことがつづくので・・
思い切って。。石切は上のみやに一人お参りにいってきた・・
近鉄石切駅を降りて・・
参道筋を下るのでなく・・
さらに・・山の上へ・・
やく300メートルほど上ったところにその社はある。。
おそらく・・
石切さんにおまいりする・・大半の人たちは・・
上のみや野存在すら知らない人が多いであろう・・
げんに・・
石切でうまれそだった・・このぼくですら・・
足や野先生に数年前にいわれるまで・・
あんなところに社があることはしらなかったのである・・
ただ・・
こどものころ・・
生駒の山上にのぼるみちすがら・・
いろいろな・・地蔵や社が立ち並ぶ・・
一角としてしか・・
印象には」ない場所であった・・
。。石切の参道ほど・・
神、社の多い地は目面しいと聞く・・
やく100以上の神さんや社が点在・・
そして・・それらにまつわり・・
占いどころの多いこと多いこと・・
そのかづ・・10や20どころではない・・
無数にいたるところに」点在しているのである・・
失業中のいま・・
どっかこの辺で・・
占いの看板をたてて・・
自分が占い師になって・・
アルバイトしようか・・
半分本気で考えたくらいである・・
。。。たぶん・・・
ぼくが・・占い師の看板をかかげたら・・
たぶん・・3人は・・
客がきてくれると信じてはいるが・・
お嬢、カッシー・・それとハンセツ・・
たぶんこの3人は主ローがって・・
来てくれるだろう・・
そんときは・・
一人1000円の占い料金を・・
特別に5割引きにしますからねえ・・
絶対きてくださいねえ。。
ああ・・それと・・コーヒーも付けますからね。。笑。。
いまは・・本当に気のあった仲間と・・
今年一年のいやなことを忘れつつ・・
来年に向けての気勢をあげる・・
本当の意味での年忘れる会の実現と・・
来年名古屋」で・・
小松の店へ・・ハンセツを実の娘として連れて行くことを・・
念願している・・今夜の三谷なのです・・
ではでは。。こんやは。。
この一極でお休みです・・
皆様いい夢を・・
by otopyk
| 2009-12-06 23:15